【書名】渡来氏族の謎
【著者】加藤謙吉
【発行】祥伝社(祥伝社新書)
【目次】序章 渡来氏族とは何か:移住時期,帰属先,獲加多支鹵(わかたける)大王の登場,「渡来人」と「帰化人」;第一章 東漢(やまとのあや)氏:真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳の被葬者,東漢氏の族長・坂上(さかのうえ)氏,坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)の二度の上表と矛盾,故意に削除された氏族,都賀使主(つかのおみ),檜前(ひのくま)・今来(いまき)への移住,東漢氏の成立,東漢氏の支配組織,軍事力で台頭する東漢氏,大伴(おおとも)氏 次いで蘇我(そが)氏に接近;第二章 西漢(かわちのあや)氏:二つの漢(あや)氏,西漢氏の配下集団,西漢氏の実態,河内直(かわちのあたい)と安羅(あら),大和政権による二重支配,「今来才伎(いまきのてひと)」説話に隠されたこと,蘇我氏・物部(もののべ)氏の対立と西漢氏の衰退;第三章 秦(はた)氏:巨大氏族・秦氏,ウヂ名に隠された巨大化の理由,秦氏の氏姓表記,「太秦公(うずまさのきみ)」を賜姓(しせい)された秦下嶋麻呂(はたのしものしままろ),秦氏の組織の特徴,秦氏の族長と「腹(はら)」,巨大組織の誕生,朝廷への貢進物,小子部(ちいさこべの)スガル(スガルは特殊漢字)の伝承,秦氏と養蚕,秦氏の支配組織,朝廷のクラの管理,秦氏と治水・灌漑事業,秦氏と造営事業,秦氏と鉱業1(水銀),秦氏と鉱業2(銅),秦氏と製塩,秦氏の政治力,族長権の移動,秦氏と広隆寺,秦氏と聖徳太子,秦氏の軍事力;第四章 西文(かわちのふみ)氏とフミヒト系氏族:フミヒトの誕生,フミヒトの組織構造,フミヒトから史(ふひと)へ,東文(やまとのふみ)氏とヤマトノフミヒト,西文(かわちのふみ)氏とカワチノフミヒト,西文氏の族長・書大阿斯高君(ふみのおおあしこのきみ),西琳寺の知識寺的性格,渡来伝承の奇妙な一致,古市郷の諸氏と野中郷の諸氏,「船王後(ふねのおうご)墓誌」を読み解く,葛井(ふじい)氏・船氏・津氏の同族関係,王仁後裔(わにこうえい)氏族の同族関係,「野中古市人(のなかのふるいちびと)」の分裂,カワチノフミヒト系氏族と外交,カワチノフミヒト系氏族と藤原氏;第五章 難波吉士(なにわのきし)氏:吉士とは何か,吉士系氏族,難波吉士氏,難波における難波吉士氏,河内における難波吉士氏,日鷹(ひたか)吉士氏,日鷹吉士氏と紀臣(きのおみ)氏,坂本吉士氏と坂本臣氏,穂浪(ほなみ)吉士氏,宅蘇(たこそ)吉士氏,草香部(くさかべ)吉士氏,吉士系氏族の再編成,「任那(みまな)の調(みつき)」とは何か,難波吉士氏の外交任務の特徴,難波吉士氏と阿倍氏,四天王寺造営の謎,四天王寺と難波吉士氏;終章 その後の渡来氏族:百済(くだら)からの名だたる亡命者,亡命百済人の後裔氏族,百済王(くだらのこにきし)氏の成立,百済系氏族,天皇家の外戚として,高句麗(こうくり)系氏族,七世紀後半の東国移住,武蔵国高麗(こま)郡と高麗福信,肖奈(しょうな)王賜姓(しせい)の意図,高麗朝臣(こまのあそん)・そして高倉朝臣(たかくらのあそん)へ,高麗若光(こまのじゃっこう)の謎,高麗王若光伝説と『高麗氏系図』,渡来氏族の変質と終焉(しゅうえん) 【Tags】渡来氏族,渡来人,帰化人,朝鮮半島,ヤマト(倭)王権,朝廷,東漢氏,西漢氏,漢氏,秦氏,西史氏,フミヒト,難波吉士氏,百済,高句麗,高麗,氏(ウヂ),姓(カバネ)

【評価】A
【評者】Vincent A.
【書評】本書の評価について初めにお断りしておくと,評者は歴史学研究者でも歴史愛好家でもありませんので,本書に記された内容が学問的に妥当か否かを判断することはできないのですが,それでも本書を高く評価するのは,著者が一般にはよく知られていない渡来人・帰化人を一定のまとまりのある氏族単位で扱い,いくつかの代表的な氏族の成り立ち・構成や居住地・職業などを廉価で入手しやすい新書にまとめているからです。さらに,著者が注意深く論を進めていることは各所の記述から読み取ることができ,それも本書を好意的に評価する理由のひとつとなっています。

本書では,東漢(やまとのあや)氏,西漢(かわちのあや)氏,秦(はた)氏,西文(かわちのふみ)氏およびフミヒト系氏族,難波吉士(なにわのきし)氏,その後の渡来氏族という別で章立てがなされ,それぞれの氏族について多様な項目にわたり「表面を覆う薄皮を一枚一枚剥ぐように丹念に検証を進め」る(p4)作業がなされています。やや煩雑になりますが,上掲【目次】の欄に本書各章で扱われているすべての項目を挙げましたので,本書の全体像をある程度つかんでいただけるかと思います。

本書には,ヤマト王権が成立・拡大する時代に朝鮮半島から大勢の人々が日本に渡来した(させられた)というだけではなく,多くの渡来人がヤマト王権の内外で相応の地位・役職を得て活動し,ヤマト王権期の日本社会を担う重要な役割を果たしていたことが記されています。朝鮮半島からの渡来人に高い技術力があったことはよく知られていますが,彼らには技能のみならず優れた政治力・統率力もあったことがわかります。

また,本書では人名・氏族名だけでなく多くの歴史用語に丹念にルビが付されており,読者に対する気遣いを感じます。漢字の読み方が気になって文脈から注意が逸らされることが減り,大変に助かります。ただし,本書には以下の述べるように,少し不満を感じるところがあります。

第一に,本書には年表がないのです。本書が扱う年代は4世紀初頭から7世紀末までのわずか400年ほどにすぎません。その間のヤマト王権など国内の政治・社会的状況と大陸や朝鮮半島における政治・社会的状況の対応関係などを年表で示すことは難しくないはずです。著者は,この時期は年表にまとめるほど複雑な事件が錯綜する混沌とした時代ではなかったと考えたのかもしれませんが,初学者も手にするはずの新書では,やはり年表で歴史的事象の相互関係を整理して示すべきかと思います。

第二に,本書には広域地図がありません。本書は渡来人が氏族という一定のまとまりをもっていくつかの地域にまとまって居住して(安置されて)いたことが論述の基礎となっています。したがって,渡来氏族の地域分布は本書にとって非常に重要な事項のはずですが,居住地域を示す広域図がないため,実際,日本のどのあたりが渡来氏族の居住地となっていたのかがわかりにくいのです。東漢(やまとのあや)氏については本拠地である檜前(ひのくま)の詳細図はあるのですが(p51),広域図がないため,奈良方面に土地勘のない評者にはせっかくの詳細図も位置関係の把握に役立ちません。また,巨大氏族の秦氏については居住国名・地域名が列挙はされていますが(pp101-104),評者は当時の諸国名・地域名に詳しくありませんので,例えば「畿内 山城国 葛野(かどの)郡」と記されても位置関係のリアリティがないのです。重要事項である渡来氏族の居住地を示す広域図がないことは,理解を妨げる大きな要因になっています。

そして第三に,大変困ったことに,本書の書き方では“先が読みにくい”のです。本書のそれぞれの章では,【目次】の欄に示したように各氏族について実に多岐にわたる内容が扱われており,しかも氏族ごとに項目内容が大きく異なります。このように氏族ごとに著者の扱い方が大きく変わるため,文脈の展開を予測しながら本文を読み進めることがとても難しいのです。通常は目次が文脈の確認や展開の予測に役立つのですが,各章の項目が著しく異なるため,文脈そのものが把握しづらいのです。ひとつの章を読み終えないと,その章に記された氏族のアウトラインがつかめないという状態で,少なくとも評者は大きなストレスを感じました。

さらに困ったことに,章ごと(氏族ごとに)項目内容が大きく異なるため,つぎの章を読み始めるにつれ前章の記憶が薄れる度合いが激しく,結果として,本書を一度読んだだけでは,各渡来氏族の違いがどこにあるのか,とてもわかりにいのです。

この点に関してはぜひとも構成を改善し,各章冒頭で2ページ程の紙幅を割き,その章で扱う氏族のアウトラインをまずそこに記すようにしていただきたいのです。ごく簡単な修正ですが,こうすれば多少の予備知識をもって各章本文を読み進めることができ,理解を深めることができるように思います。

最後に,内容についてです。本書は末尾のつぎのような一文で結ばれています。

 八世紀から九世紀にわたる変革の過程を経て,渡来氏族は日本の政治的風土のなかに溶け込み(あるいは埋没し),その特性を徐々に喪失していったとみてよいであろう。(p307)

著者の言葉を借りれば,この部分は“渡来氏族の終焉”,すなわち渡来人の日本人(倭人)への同化プロセスの最終段階について述べたものですが,評者は個人的にですが,最終段階よりも同化プロセスの全体に関心があります。そもそも評者が書店で本書を手にした理由は,渡来人はどのようにして日本社会に適応することができたのか,しかも彼らはなぜ日本社会のなかで一定以上の社会的地位を獲得することができたのか,その経緯を詳しく知りたかったからです。史実にもとづき,主観的記述をできる限り控えながら当時の人々の行動を明らかにするという作業は,歴史専門家の方々にとっても非常に難しいものであることは承知していますが,本書を読み終えても,残念ながら渡来人たちの社会的適応と社会的地位の獲得に関して,いまひとつリアリティを感じることができませんでした。

渡来人というのは,生まれ育った文化圏を出て異国の異なる文化圏に移り住んだ人々ですので,今風にいえば移民・移住者なのです。そして渡来人の社会的適応と社会的地位の獲得というのは,まさに移民に特有の問題なのです。なぜなら,一般に移民第一世代(一世)は文化的障壁と人種差別に直面します。文化的障壁とは言語や行動様式,価値観の違いなどによる適応の困難性をいいますが,なかでも移住先の国の言語をどこまで使いこなせるかが大きな要素となります。人種差別は一概にはいえませんが,まず皮膚の色など移民の容貌が大きく影響します。加えて,出身国の歴史・政治状況や文化水準の高低,さらには移住先の人々が移民たちの母国についてどれだけ多くのことを知っているかという認知度の大小も関係します。

移民一世(場合によっては二世も)がこの文化的障壁や人種差別を乗り越えて社会に適応し,さらにその社会のなかで相応の地位を得ることは簡単なことではないのです──というよりも,現実的には相当に難しいことなのです。では本書に記される渡来氏族の人々はどのようにして文化的障壁を乗り越え,そしてヤマト王権の内外で一定以上の社会的地位を獲得することができたのでしょうか。彼らは,文化程度の高さゆえに特に差別されることはなかったということなのでしょうか。

本書では「渡来人」という言葉は当然ながら頻繁に用いられているのですが,不思議なことに,本書に記された渡来人にはさほど強い“移民性”──異民族性といってもよい──を感じないのです。 本書には,渡来氏族たちがヤマト王権期に社会的にある程度の成功を収めていたことが記されていますが,なぜ彼らが王権から重用されたのかなど,その成功の過程についてはあまり詳しく記されておらず,この点が個人的にはとても残念です。もう少し手がかりが記されていれば,本書の価値はさらに高まったように思います。

*初稿2020/09/14

書評:渡来氏族の謎

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

error: Content is protected !!