【書名】国家神道と日本人
【著者】島薗 進
【発行】岩波書店(岩波新書)
【目次】第1章 国家神道はどのような位置にあったのか;第2章 国家神道はどのように捉えられてきたか;第3章 国家神道はどのように生み出されたか;第4章 国家神道はどのように広められた;第5章 国家神道は解体したのか
【Tags】島薗進,国家神道,神社神道,皇室祭祀,天皇崇敬,明治維新,国体思想,祭政一致,神社本庁

【評価】B
【評者】Vincent A.
【書評】私はいわゆる新書を評価するときに,書名がその本に記された内容を的確に表しているか否かをまず考えます。学術書では書名よりも書かれている内容の方が大事ですが,新書は一般の人々が書店店頭で表紙・背表紙の書名を見て購入を考えることが多いので,内容との一致・不一致は大切な要素だからです。残念ながら新書には内容と一致しない“思わせぶり”な書名を附したものが多く,記された内容はさほど悪くないのに,書名を見て購入した読者の期待を結果として裏切るものが後を絶ちません。本書『国家神道と日本人』もその一例です。

『国家神道と日本人』というタイトルは非常に魅力的ですが,実際のところ,本書にはタイトル後半の日本人に関する記述があまりありません。確かに国家神道は国の政策として推し進められた面が強いのですが,政治家や一部の宗教家のみの力でそれが達成された訳ではなく,少なくとも当時の日本人のなかに国家神道という体制ないし文化を受け入れる素地があったからこそ,結果の善し悪しは別として,日本国民のなかに広く,神道を民族がひとつにまとまるための精神的な拠り所として位置づけることができたはずです。

『国家神道と日本人』というタイトルを附すからには,当然,そのような国家神道と日本人の関係性に切り込む記述があるはずと思い本書を購入しましたが,期待外れでした。国家神道の本質をみきわめるためには,日本人がなぜ国家神道を受け入れてきたのか,日本人のどのような気質がそれを許容してきたのかなど,日本人についての考察が不可欠ですが,本書は日本人についてほとんど論じていないのです。日本人や日本文化を論じないのであれば,本書タイトルは『日本の国家神道』で十分ですし,そうすべきだったように思います。

新書文化の旗艦であるはずの岩波新書に,このような内容と一致しないタイトルが附された書が存在することは,とても残念です。したがって厳密にいえば本書の評価はCです。ただ,国家神道に関する記述は非常に精密で,本書を『日本の国家神道』という名の新書だと考えるとすると,これだけの知識を900円程度で得られるのはとても“お買い得”ですので,その点を勘案して評価をBとしました。

さて,本書を『日本の国家神道』という新書と考えた場合の評価をします。歴史観は研究者によって異なりますから“史実”の見え方も色々あると思いますが,本書はひとつの“見え方”を丁寧に提示したという意味で,新書としては良書の部類に属すると思いますし,客観的にもそう評価されるのではないかと思います。

しかし,私個人としては,本書に大きな疑問を感じています。その疑問はもしかすると本書だけでなく,国家神道を研究する日本の歴史学・歴史宗教学に対していだく疑問かもしれません。

疑問に思う大きなポイントは,国家神道という言葉の明確な定義がなされていないことです。著者の島薗氏が本書で伝えたいことは,大雑把にいえば,国家神道とは神社神道のことだけでなく,これに皇室祭祀と天皇崇敬システムが組み合わさって形作られたもので,戦後,GHQは神社神道を解体したけれども皇室祭祀には一切手を付けなかったため,国家神道は完全に消滅することなく現在でも連綿と生き続けている,ということかと思います。ですから,著者は「はじめに」の部分で

「国家神道とは何か」を理解することは,近代日本の宗教史・精神史を解明する鍵となる。この作業を通して,明治維新後,私たちはどのような自己定位の転変を経て現在に至っているのかが見えやすくなるだろう。このことこそ,この本で私がもっとも強く主張したいことだ。(第v頁)

と述べているように,まず国家神道とは何かを明らかにし,つぎに,それが国家体制にまで作り上げられた過程を考察するという順で記述を進めているのですが,ポイントとなる「国家神道」についての明確な定義がないのです。

第二章「国家神道はどのように捉えられてきたか」の第1節「国家神道の構成要素」にはつぎのような記述があります。

国家神道という用語は,明治維新以降,国家と強い結びつきをもって発展した神道の一形態を指す。それは皇室祭祀や天皇崇敬のシステムと神社神道とが組み合わさって形作られ,日本の大多数の国民の精神生活に大きな影響を及ぼすようになったものである。皇室祭祀や天皇崇敬のシステムは,伊勢神宮を頂点とする国家的な神々,とりわけ皇室の祖神と歴代の天皇への崇敬に通じている。国家神道においては「皇祖皇宗」への崇敬が重い意義をもっており,神聖な皇室と国民の一体性を説く国体論と結びつく。以上のような国家神道の語義は,1950年代末に提起されて以来,広く受け入れられてきたこの語の通俗的な用法とさほど隔たっていない。(57頁)

この部分冒頭の「国家神道という用語は,明治維新以降,国家と強い結びつきをもって発展した神道の一形態を指す」が定義のようにみえますが,「国家と強い結びつきをもって」は意味が曖昧すぎますし,「神道の一形態」はあたかも神道の一宗派をいうような感があり,意味が不明確です。つまり,この文章は国家神道が何であるかを簡潔明瞭に述べておらず,定義になっていないのです。引用した残りの部分はすべて国家神道の内容説明で,定義そのものではありません。

ここで興味深い例をご紹介します。Wikipedia英語版です。英語版Wikipediaで「State Shinto」(国家神道)を調べるとつぎのような説明があります。

State Shintō (国家神道 or 國家神道 Kokka Shintō) describes the Empire of Japan’s ideological use of the native folk traditions of Shinto. The state strongly encouraged Shinto practices to emphasize the Emperor as a divine being, which was exercised through control of shrine finances and training regimes for priests.

この意味はおおよそ,つぎようなものです。『国家神道とは,神道という古来の民間習俗を日本帝国(Empire of Japan)の建設に政治利用したことを指す。国は神道様式を重視して天皇を神格化しようと努めたが,特に神社の財政管理と神官の管理体制を強化することでそれを行った。』

英文冒頭の“State Shintō describes the Empire of Japan’s ideological use of the native folk traditions of Shinto.”は国家神道の本質的属性を簡潔明瞭に述べており,内容的に十分か否かはさておき,定義として成り立っています。前述の島薗氏定義の「国家神道という用語は,明治維新以降,国家と強い結びつきをもって発展した神道の一形態を指す」という曖昧な表現とは対照的です。そして,このWikipedia定義と島薗氏定義には,もうひとつ大きな違いがあります。お気づきと思いますが,島薗氏定義には「明治維新以降」という時代限定があるのに対して,Wikipedia定義にはそれがないのです。“Empire of Japan”がある種の時代を想定しているとは思いますが,それについては後述します。

ここでもうひとつ興味深い例をご紹介します。Wikipedia日本語版です。日本語版Wikipediaで「国家神道」を調べるとつぎのような説明があります。

国家神道とは,近代天皇制国家において作られた一種の国教制度,あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。「国体神道」や「神社神道」,単に「神社」とも称した。

もうお分かりと思いますが,日本語版Wikipediaの定義にも「近代天皇制国家において」という時代限定が含まれているのです。

どうやら,島薗氏を含めて日本の国家神道研究者たちは,国家神道の起源は明治維新前後にあると信じて疑わないようなのです。起源が明治維新前後であることは本書『国家神道と日本人』のなかで島薗氏が繰り返し述べていますし,島薗氏が引用した文献もすべてそうなっているようです。すなわち,日本の国家神道研究では,国家神道を“明治維新前後に始まった歴史的な出来事”としてしかみていないのです。ですから定義に「明治維新以降」とか「近代天皇制国家において」という時代限定が含まれてしまうのです。

しかしながら,先ほどみた英語版Wikipediaの定義は少し違います。“Empire of Japan”の意味ですが,Empireを帝国としJapanを日本とすれば,確かに“Empire of Japan”は日本帝国となりますが,それは明治以降という時代背景を想定しての訳なのです。そうではなく,時代をもっと遡りEmpireを王朝と考えJapanを大和(やまと)と考えれば,“Empire of Japan”は大和王朝の意味になります。

つまり,Wikipedia英語版の定義を「国家神道とは,神道という古来の民間習俗を大和王朝の建設に政治利用したことを指す」と解釈することも不可能ではないのです。そしてその解釈は十分成り立つように思えるのです。

すなわち,「王を頂点とする国家体制を築くために民衆が畏敬する神・神々の威光を政治的に利用すること」は大和王朝あるいは邪馬台国の時代にもみられていたはずです。国家神道の定義から年代的要素を省き,その言葉の本質的属性を厳密に検討する必要がここにあります。国家神道そのものではないかもしれなせんが,その萌芽はいにしえの時代からあったといえるかもしれないのです。

残念ながら,島薗氏を含めて国家神道研究者の方々は,歴史学的・歴史宗教学的研究でありながら,定義に「明治維新以降」を入れてしまったがために,それ以前の歴史が目に入らなくなってしまったようです。

ただ,繰り返しますが,本書は国家神道について非常に精密に記述していますので,そういった疑問を感じながらも読むに値する書であろうと思います。

*初稿2016/09/17,更新2018/06/05
*本稿はdiscoverjaponism.comに掲載されていた同名記事に加筆修正を加えたものです。

書評:国家神道と日本人

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