【書名】応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱
【著者】呉座 勇一
【発行】中央公論新社(中公新書)
【目次】第1章 畿内の火薬庫,大和;第2章 応仁の乱への道;第3章 大乱勃発;第4章 応仁の乱と興福寺;第5章 衆徒・国民の苦闘;第6章 大乱終結;第7章 乱後の室町幕府;終章 応仁の乱が残したもの
【Tags】呉座勇一,応仁の乱,室町幕府,興福寺,経覚,尋尊,経覚私要鈔,大乗院寺社雑事記,足利義教,足利義政,足利義尚,足利義視,南北朝,後南北朝,大和,衆徒,国民,土一揆,畠山政長,畠山義就,細川勝元,山名宗全

【評価】B
【評者】Vincent A.
【書評】歴史学研究者は,わずか一冊の歴史書を書き上げるために,長い時間をかけて膨大な史料と格闘し,ひとつひとつの史実を洗い出し,それらを整理・検討したうえで稿を起こしておられると思います。そのような歴史学研究者の方々の真摯な,そして尊い努力を承知しつつ,あえて申し上げるのですが,本書を読み終えて,歴史学研究者には歴史をトレースすることはできても,歴史を評価することはできないのだと改めて痛感しました。

本書は新書でありながら300頁のボリュームがあり,いくつもの戦乱が11年にわたり引き続いた非常に分かりにくい大乱である応仁の乱を丁寧に解説した歴史書となっています。それが900円という価格で手に入るのですから,日本の新書文化は本当に素晴らしいと思います。歴史を知るという意味であれば,本書は良書の範疇に入るといって差し支えないと思います。

しかしながら,歴史とは,そこから何かを学び取るために学ぶものと私は常日頃考えています。では,本書に描かれた応仁の乱の歴史から,いったい私たちは何を学び取ることができるのかということを考えたとき,本書の記述内容にはいささか不満が残ります。

著者は応仁の乱を評価していないのです。それを評価する材料も本書にはなさそうなのです。ここで評価とは,要するに「善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること」(広辞苑)です。もちろん,価値には様々なものがあります。経済的価値,政治的価値,芸術的価値,文化的価値,学術的価値,そして歴史的価値,等々。本書にはこのような何らかの価値を判じ定めるための材料が決定的に不足しているのです。

本書は歴史書ですので,素直に“応仁の乱の歴史的価値”を考えようとすると,さて,何をどう考えればよいのか,その材料が容易には見つからないのです。例えば,本書「応仁の乱」には副題「戦国時代を生んだ大乱」が附されているのですが,“応仁の乱が戦国時代を生んだ”ことは本書では明確には説明されていないのです。それは日本の歴史では自明のことと思われるかもしれませんが,自明か否かは関係ありません。副題に「戦国時代を生んだ大乱」という言葉を附したうえで応仁の乱を論ずるのですから,応仁の乱がいかにして戦国時代につながったのかを説明しなければならないのです。そうでないと,その部分での歴史的価値を評価できないからです。関連性を説明できなければ副題を削除すべきでしょう。

また,本書の帯には「日本社会を変えた歴史の転換点」とあります──帯のキャッチフレーズは編集者の意向だとは思いますが,最終責任は著者にあるはずです。歴史の転換というのは,政治体制や社会制度などが大きく変化したことをいいますが,本書には応仁の乱の後に日本社会のどの部分がどのように変化したのか,明確には述べられていません。なぜなら,本書は基本的に応仁の乱の前兆段階からその終焉までを扱った書であり,その後のことは書かれていなくて当然なのです。ですから,応仁の乱が歴史の転換点になったのかどうか,本書だけでは判断のしようがないのです。

応仁の乱を論じている本書中になぜ応仁の乱を評価する材料が見つけにくいのか,そのひとつの理由は,著者が“支配者・権力者の目で見た歴史”をトレースしているからです──これは本書だけのことではなく,日本の歴史書にはよく見られることです。例えていうならば,NHKの大河ドラマ的視点で歴史をトレースしているということです。

すなわち,著者はもっぱら将軍,貴族,武将たちの権力闘争・覇権争いを描き出すことで応仁の乱を読み解こうとしているのです。戦乱の歴史を描くときに将軍,貴族,武将たちの争いに注目するのは当然ではないかと思われるかもしれませんが,乱世にいたのは彼らだけではないのです。一般民衆,すなわち農民や町民がそこにはいたのです。しかも,人数は民衆の方がはるかに多いのです。歴史学研究者の方々は,“支配者・権力者の目で見た歴史”をトレースすることに心血を注ぐあまり,民衆のことが目に入らないのかもしれません。

例を挙げた方が分かりやすいと思います。米国の独立戦争(1775-1783)の渦中で採択された米国独立宣言(1776)は英国王朝に対する決別の書であると同時に,建国の基本姿勢を米国民全体に訴えかけた力強い宣言書で,その後の米国人の行動原理となって米国人の精神性に大きな影響を与え,その影響力は現在でも引き続いています。したがって,米国独立宣言は歴史的にも,政治的にも,文化的にも非常に大きな価値があるものですが,その価値は英国王朝とその植民地であった米国との闘争の歴史をトレースしただけでは分かりません。それが分かるのは,米国市民の生活をつぶさに観察し,宣言が米国民全体に大きな影響を与えたことが認められたときです。

本書著者は本書を起稿するにあたり,室町時代の興福寺僧侶の経覚(きょうがく)が書き留めた日記「経覚私要鈔(きょうがくしようしょう)」と,同じく興福寺僧侶の尋尊(じんそん)が書き留めた日記「大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)」を中心的史料として用いています。これらの日記について,著者は,興福寺は奈良にあり,経覚や尋尊が入手できた京都や地方の情報の正確さに難点がある点は認めつつも,「本人のみならず,彼らの周辺の僧侶・貴族・武士・民衆が大乱の渦中でどのように生き,何を考えていたかが分かるという点で,二人の日記は他のどんな史料にも代え難い価値を有する」と高く評価しています。しかし,ここに著者の大きな勘違いがあります。それは特に「民衆」についてです。

経覚や尋尊の日記に民衆が「大乱の渦中でどのように生き,何を考えていたかが分かる」記述が含まれている可能性は極めて小さいはずです──私はその日記を読んでいません。経覚や尋尊が市井の人であればまだ良かったのですが,残念ながら両名とも奈良を代表する最高格の寺院である興福寺に属し,しかも別当(筆頭僧侶)なのです。さらにいえば,経覚は関白左大臣の九条経教の子で,一方の尋尊は一条兼良の子で,九条家・一条家はともに摂関家であることから,経覚と尋尊はそれぞれ幼少時に興福寺に入った当初から最高位の別当に就くことが約束されていた超エリートなのです。

また,興福寺は広大な荘園をいくつも所有していました。すなわち,興福寺は農民たちが苦労して集めた年貢米を徴収する支配者・権力者の立場にあったということです。その寺のトップにいる経覚と尋尊はまさに搾取する張本人であり,彼らが書き記す日記に,搾取される側の人間の苦悩──例えば,戦乱が迫る中でどのように生き延びればよいのか,食料が尽きかけているときにどうすれば兵糧米を差し出せるのか等々の切迫した苦悩──が記されているとは考えられないのです。民衆について日記に何か書かれているとすれば,おそらくそれは,農民たちが年貢の減免を求めて強訴したとか,土一揆を起こした等々,興福寺の収入(年貢徴収)に影響しかねない事柄についてではないでしょうか。

経覚と尋尊の日記を史料に加えたことで応仁の乱にまつわる様々な史実に肉づけをすることはできたと思いますが,結局のところ,それは“支配者・権力者の視点”をひとつ加えただけのことであり,民衆が置き去りにされていることに変わりはないのです。

応仁の乱を評価するときに欠かせない要素がもうひとつあります。それは戦禍の規模です。本書の記述からは,いったいどの程度の戦禍であったのかがいまひとつ分かりません。戦禍でまず考えるべきは死者数でしょう。11年もの大乱の中でいったい何人の人間が亡くなったのか,死者数の推計は戦を評価するときの基本項目のはずです。また,死者たちはどのように葬られたのでしょう。死者数の推計や死者の扱いの確認は相当難しい作業だと思いますが,その困難を克服するのも応仁の乱を研究する研究者の責務ではないでしょうか。また,財産的損害の推計も戦を評価する重要項目です。例えば,応仁の乱のどの戦で京都市内はどの程度の損害を受けたのかという点すら,本書には明確な記述がないのです。戦禍について想像できる資料が本書に含まれていませんので,大乱のリアリティがなく,評価しにくいのです。

最後に,筆者は「あとがき」で「将軍や大名たちの“愚行”を後知恵で糾弾するのは気が引けるので,なるべく彼らの思惑や判断を,当時の人々の認識や感覚に沿う形で理解するよう努めた」と記しています。「将軍や大名たちの“愚行”」の部分は,おそらく,結果として11年も続いた応仁の乱という一連の戦乱の中でうごめく将軍・武将たちの行動・態度に対する筆者の率直な評価なのかもしれません。しかし,ひとりやふたりの将軍・武将の“愚行”で戦いが11年も続くはずがありません。もっと多くの将軍・武将たちが同じような“愚行”を重ねていたはずで,そうだとすれば,彼らの行動・態度の背後には必ず,そのような“愚行”を生起させる何かの構造的問題があったはずなのです。愚かさを糾弾するのではなく,愚行を生み出す構造を明らかにするのが歴史学研究者の責務だと私は思います。

歴史学研究は歴史をトレースすればよいと,もし歴史学研究者が考えているとすれば,それは間違いだと思います。

 

 

*初稿2018/06/20

 

書評:応仁の乱

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