【書名】神仏習合
【著者】義江 彰夫
【発行】岩波書店(岩波新書)
【目次】序 巫女の託宣;第1章 仏になろうとする神々;第2章 雑密から大乗密教へ;第3章 怨霊信仰が意味するもの;第4章 ケガレ忌避観念と浄土信仰;第5章 本地垂迹説と中世日本紀;結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって
【Tags】義江彰夫,神仏習合,神宮寺,多度大神,巫女,託宣,神道,神祇信仰,基層信仰,仏教,雑密,大乗密教,普遍宗教,王権,怨霊信仰,ケガレ忌避,穢れ,浄土信仰,本地垂迹説,反本地垂迹説,中世日本紀

【評価】A
【評者】Vincent A.
【書評】著者は本書の序で「わたしは,政治・経済・社会・日常生活との有機的関連のもとに,日本の宗教的特質である神仏習合現象の生成と展開の歴史をあきらかにし,それを通して文化全般と社会構造との有機的関係を解明する道を開きたいとねがってきた」と述べています。実際,本書は時代と共に様相が進化する神仏習合とよばれる過程を,できる限り,その時代の社会構造ないし政治的・社会的状況との関係において論じようとしており,神仏習合の歴史にひとつの視点を提供する書となっています。特に,神が仏教に帰依したいと託宣を下し,それに呼応して地方豪族の手によって神社境内もしくはその近隣に神宮寺が建立される“神身離脱と神宮寺建立”という一連のシナリオが日本各地に広まる,いわゆる神仏習合の初期過程については,当時の政治的・社会的要因との関連で非常に分かりやすく説明されており,本書は良書といえるでしょう。

このような良書が650円という価格で入手できるのは本当にありがたいことです。ちなみに,私は本書を古書店で100円で購入しましたが,読み始めて内容の濃さに驚愕しました。このようにしっかり記されている書を古書とはいえわずか100円で購入したことに少々後ろめたい気持ちさえします。そこで,それを償う意味で少し詳しく書評させていただくことにします。

著者は新書を著すのは初めてとのことですが,それは特段珍しいことではありませんし,不慣れな分は編集者が補えばよいのですが,担当編集者氏の校正がやや甘いように思えます。本書には読みにくい箇所が多いのです。そして,おそらくは編集段階でそれを補おうとしたからではないかと推測するのですが,各章各節に必要以上に多くの小項目が設けられ,文脈が細切れ状態となっています。それがかえって読みにくさを助長している面もあります。また,「これについては後述する」「後に扱う」として説明を後回しにする箇所が目立ちます。詳しい説明を後段に譲るのは悪くないのですが,一般書ですから,後段の説明箇所(頁)を書き記す程度の親切心はあってしかるべきかと思います。

さて,著者は本書で神仏習合の歴史を4つの段階,すなわち,神宮寺が日本各地に建立され,神仏習合が全国的規模で広まった段階(第1段階),御霊(怨霊)信仰が王権への反逆という性格を秘めつつ中央および地方の広範な人々に受け入れられた段階(第2段階),王権内でケガレ忌避観念が拡大するとともに,日本型の浄土信仰が初めは王権内に,つぎに武士層に,そして民衆にと徐々に広まった段階(第3段階),そして仏教勢力が打ち出した本地垂迹説を王権も治世の柱として取り入れ,仏教が神々の世界をすべて包み込むようになった段階(第4段階)に分けて論じたいようなのですが,実は文脈はさほど明確でないのです──さらに,著者は第4段階のつぎに,反本地垂迹説が提唱されて神道の理論化がなされるまでをもうひとつの段階と考えているかもしれません。

まず,神仏習合をなぜ4つ(または5つ)の段階に分けて考えるべきなのか,著者はその理由を示していません。それどころか,著者は本書において各段階を明示的に記してはいないのです。例えば,第2段階,第3段階,第4段階という言葉はあるのですが,第1段階という言葉はみつかりません。また,第1段階は,神宮寺が広く各地に建立され神仏習合が全国的規模で広まったところまでをいうのか,あるいは神宮寺建立に貢献した雑密が神宮寺維持のために大乗仏教化し,最終的に仏教寺院の大半が大乗真言密教・大乗天台密教に覆われるようになったところまでをいうのか,分かりにくいのです。

さらに,御霊信仰が第2段階であることは,実は御霊信仰を説明する第3章では言及されておらず,つぎの第3段階のケガレ忌避観念を説明する第4章の冒頭で,前章を振り返るなかで初めて御霊信仰が第2段階であるとしています。また,第4段階についても,本地垂迹説の主要説明部分では何も言及がなく,説明が終わる直前に初めてそれが第4段階であることをごく簡単に触れるだけです。このように段構成が分かりにくく,かつ,段に分けて考える意義が述べられていないため,文脈をとらえにくいのです。

分かりにくい点をもう少し挙げると,著者は,神宮寺には,地方豪族の手で各地に建立された神宮寺と,宇佐八幡宮や伊勢神宮の神宮寺のように王権鎮護の目的で建立された神宮寺の二種類あることを指摘し,これら二種類の神宮寺は建立の時代もそれを必要とする社会的背景も異なるとしていますが,前者の地方豪族の手による神宮寺については社会的背景が明快に説明されているのとは対照的に,後者の王権鎮護の目的の神宮寺については社会的要因の説明が乏しく,これら二種類の神宮寺の差違がやや漠然としています。

また,第1章と第2章で著者は「苦悩」「いきづまり」という言葉を多用しているのですが,それぞれの文脈における意味内容は必ずしも明らかではありません。第3章の御霊信仰,第4章のケガレ忌避観念および浄土信仰はそれぞれ,本書のテーマである神仏習合との関係性が第1章の神宮寺や第5章の本地垂迹説ほど明快に説明されておらず,記述の仕方にもう少し工夫が必要かと思われます。

上に指摘した点はいずれも記述の仕方の問題であり,もちろん,文責は著者にあるのですが,編集段階で編集者が指摘していれば改善できる点も多かったように思います。

最後に,内容的な問題に触れたいと思います。いくつか気になる点はありますが,ここではそのひとつについて述べます。

筆者は,神仏習合の過程を当時の社会的要因と有機的に関連づけてダイナミックに分析しており,その頭脳明晰さには率直に敬服します。しかし,神仏習合という問題に対する筆者の基本スタンスにはやや粗雑な印象をぬぐいきれません。まず,本書では「神仏習合」について明確な定義がなされていません。筆者のスタンスは,それはよく知られた言葉で意味は明らかというかのようです。しかし,よく知られた言葉であればなおさら,その意味を明確に定める必要があります。よく知られている言葉は恣意的に(都合よく)用いられやすく,恣意的に理解されやすいからです。また,意味を定めるということは,その問題に対する著者の基本的考え方を示すということでもあります。

もちろん,筆者も本書冒頭で定義らしきものは記しています。筆者いわく「神仏習合とは,まさにこのように神祇信仰と仏教が複雑なかたちで結合し,独特な信仰の結合体を築いたものをいうのである。当時の人々の信仰心はもちろん,経済・社会・日常生活をはじめ,右にみたような政治行動のささえにさえなったものであった。この神仏習合という日本独特の宗教構造については(以下略)」(p6)。これを要約すれば「神仏習合とは神祇信仰と仏教が複雑に結合したもの」となろうかと思いますが,研究者レベルではとても定義と認められそうにない筆者のこの素朴な定義は,しかしながら,神仏習合に対する筆者の基本スタンスをよく表しているのかもしれません。

筆者はどうやら,神仏習合をもっぱら形式的な混交とみているようなのです。すなわち,神社で仏僧が読経をすればそれは神仏習合である,というように。確かにそれも神仏習合のひとつの側面とは思いますが,神仏習合はもう少し複雑なはずです。例えば,筆者も本書で最初に扱っている神宮寺ですが,その建立に貢献した仏僧を筆者は遊行僧とよんでいますが,この遊行僧とは修行僧,それも基本的には山岳修行僧のことです。山岳修行僧とは,奥深い山もしくは険しい山岳に入り仏道(特に呪術)の修行に励んだ仏僧のことですが,彼らがなぜ修行地として山を選んだかといえば,それは山が神祇信仰ないし山岳信仰の対象たる神々が住まわれる聖なる場所であり,そこで修行をすることで,彼らは神々の霊力を獲得しようとしたからに他なりません。すなわち,山岳修行僧自身が神仏習合を体現するモデルでもあったわけです。

そして,神社境内に神宮寺が建立された後に彼ら修行僧はその神宮寺で読経をしたはずですが,それは,彼らが山で身につけた呪術をもってして,その神社の神の威光を回復しようと真剣に祈祷したということだと思います。つまり,単に形式だけの混交ではなく,宗教心・信仰心というメンタリティーのレベルでの混交であったように思います。筆者が第2章で述べている大乗真言密教を確立した空海に関しても,彼は基本的に山岳修行僧と同じメンタリティーを持っていたよう思います。空海が神々の霊力を曼荼羅図のなかにどのように昇華させたのかは私には分かりませんが,密教そのものが神祇信仰的要素を十分に含んでいるように思います。そのような側面も視野に入れて論じていただけるとよかったのではないでしょうか。

 

 

*初稿2018/06/25

 

書評:神仏習合

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