【書名】神道とは何か 神と仏の日本史
【著者】伊藤 聡
【発行】中央公論新社(中公新書)
【目次】序章 「神道」の近代;第一章 神と仏 1.日本の神 2.神と仏の出会い 3.神仏習合の発生 4.本地垂迹説の形成;第二章 中世神道の展開 1.中世神道説の濫觴(らんしょう) 2.中世神道説の形成と展開 3.鎌倉仏教と中世神道 4.神観念の中世的変容;第三章 新しき神々 1.人神信仰と御霊信仰 2.人神信仰の展開 3.渡来神と集合神 4.女神信仰の展開;第四章 国土観と神話 1.国土観の変遷 2.中世神話と中世日本紀 3.中世神話の諸相;第五章 近世神道へ 1.吉田神道 2.天道思想とキリスト教 3.近世神道の諸相 4.国学への道;終章 「神道」の成立
【Tags】神道,神道の成立,神道形成史,神道思想史,神信仰,神祇信仰,神仏習合,本地垂迹説,中世神道,近世神道,両部神道,伊勢神道,吉田神道,神観念,人神信仰,御霊信仰

【評価】C
【評者】Vincent A.
【書評】直近で比較的新しい神道入門書2冊についてレビューしましたので,本書は少し前の発刊ですが,同様の書としてレビューすることにしました。神道の入門書には良書が少ないのですが,本書も残念な書の一冊です。その理由は少々複雑です。

著者の基本的な考え方は,神道は古代より脈々と続く日本の民俗宗教と理解されることが多く,日本文化や日本人の精神性にまで深く溶け込んだものといわれることもあるが,私たちが目にする神道は古代の神信仰・神祇信仰とは大きく異なり,中世に仏教を初めとする大陸思想の影響を強く受けて思想らしきものを身につけることで,ようやく神道という宗教が生まれたというものです。そして本書では特に,神道(神祇信仰)に対する仏教の影響を詳しく述べています。この部分は初学者にも大いに参考になるところです。しかし,いくつかの点で本書には不満を感じます。

第一に,本書には「神道とは何か」という題目が付され,神道とはどのような宗教なのかを解説した初学書のような体裁を取っていますが,実際は,本書には神道がどのような宗教であるのか,その内容を直裁かつ具体的に説明する記述が乏しく,代わりに,著者の関心はもっぱら神道という“観念”ないし“思想”がいつ,どのように成立したのかという神道思想の形成史に置かれています。著者の専門が日本思想史ですので,思想史に比重が置かれるのは無理からぬことかもしれませんが,その結果,本書は神道を紐解く入門書というよりも,『神道形成史概論』の書となっています。

第二に,では神道形成史の入門書としての評価はどうかといえば,それも芳しくありません。著者は,中世に神仏習合などの影響で神信仰・神祇信仰に思想らしきものが芽生え,ようやく神道という宗教の体裁を整え始めたとする説──ここでは便宜上「中世成立説」と呼ぶことにします──に立ち,神道思想の形成と変遷を論じていますが,この中世成立説はなかなかのくせ者で,初学者には要注意の代物です。

中世成立説において,中世,すなわち神道が成立したとされる成立時期は実はさほど重要でないのです──いうなれば,大きな変革が起きた時代がたまたま中世であったということです。それよりも,中世成立説を基礎づける最も根源的なポイントは,“いま私たちが目にする神道は古代より連綿と続くものとはいえない”ということにあります。ですから,古代の神信仰・神祇信仰と中世以降の神道の“非同一性”ないし“非連続性”をいかに証明するかが中世成立説に求められる最大の課題となります。すなわち,古代の神信仰・神祇信仰のどのような部分が,どのようにして,どのように変容したのかを論証することで初めてこの説が成り立つといってよいでしょう。そして神道形成史の入門書であれば,それらの点を丁寧に記述することが求められるのですが,本書はこれがあまりに不足しています。

著者は神仏習合については饒舌なのですが,神信仰・神祇信仰の中身については,わずかに「古代の神祇信仰は,基本的には多神教的自然崇拝に過ぎず,人間の内面と関わる契機を持たない」(p283)と述べる程度で,それ以上の具体的な説明がありません。神信仰・神祇信仰における信仰の対象である神の説明も同様に一面的です。著者は第一章でカミの語義やカミとタマ・モノ・オニの違い,カミの基本的性格,マツリの意義などに触れていますが,私(評者)のつたない経験からすると,神の説明を語義・語源あるいは本居宣長の“神定義”から始める書は,往々にして記述に深みがなく,うがった見方をすれば,神の本質を説明できないがために語義・語源の話題で“お茶を濁している”のではないかとすら思えるのですが,残念ながら本書にもその傾向がみられます。

では“変容した後の神道”についての説明はどうかといえば,これも十分とはいえません。例えば,著者は「両部・伊勢神道などを生み出した中世の神仏習合的状況こそが,今日『神道』とよびうる存在を作り上げた画期だったと考えている。本書は,このような視点から,中世を中心に,古代から近世に至る神道の形成史を辿ろうとするものである」(p15)と記しており,ここで両部神道と伊勢神道の成立は,著者がいうところの「中世の神仏習合的状況」によって神道(神祇信仰)がいかに大きな影響を受けたのかを如実に示す,大変に重要な証拠のはずですが,神仏習合については詳しく述べるものの,肝心の両部神道・伊勢神道そのものの説明に費やした紙幅はきわめて小さく,教義書の一部を引用する程度です。“理論のなかった神道に初めて理論が生まれた”程度の表面的な事実以上の説明をしていないのです。

したがって,本書を読んでも,実際のところ神信仰・神祇信仰がどのように変容したのか──どのようにして神道が成立したのか──が今ひとつわからないのです。

第三に,上記中世成立説には,解決すべき重要な課題がもうひとつあります。それは,中世に成立した神道は古代の神信仰・神祇信仰のどのような部分を継承しているのか,そして継承した部分は中世以降の神道にとって重要なものなのか否かという「継続性」ないしは「連続性」の考証です。中世に成立した神道が古代の神信仰・神祇信仰とは非連続・非同一であるとしても,両者が完全に断絶しているはずはなく,神道が神信仰・神祇信仰からなにも継承しなかったわけではないでしょう。ではいったいなにを継承したのでしょうか,そしてその継承したものはその後の神道のなかでどのように位置づけられているのでしょうか。

しかしならが,実はこの課題は非常にやっかいな問題をはらんでいます。なぜなら,中世以降の神道が古代の神信仰・神祇信仰からなにかを継承したとすれば,それは神道にとっても重要なものであるからこそ継承されたかもしれず,かつ,その重要性が著しく高く神道の中核を占めるほどのものであるときは,神信仰・神祇信仰に対する中世以降の神道の非同一性・非連続性の主張が危うくなるからです──神道が中世に成立したとする中世成立説そのものの根拠が崩れることになりかねません。

本書はそもそも神信仰・神祇信仰について詳しく述べていませんので,当然ながら,この課題にも対処できていないのです。ただし,著者はこのような課題があることに気づいてはいるようなのです。それはつぎの記述にみられます。

しかし,日本の神祇信仰および言説は,仏教伝来以降,仏教との関わりのなかで展開してきたのであり,それは神仏習合の歴史そのものである。にもかかわらず,日本の神祇信仰が仏教のなかに完全に融解してしまわずに,「神道」として独自性を保持し得たのはなぜだろうか。(序章p7)

ここで政治・社会的状況などの外的要因をひとまず度外視し,神祇信仰や神道内の内的要因のみに絞るとすると,上記引用部分は,著者が,神祇信仰から神道になにかが継承され,それがあったがゆえに神道は仏教に埋没することから逃れることができたという意と解釈できなくもありません。ただし,著者はこのような問題提起はしているものの,明確な答えを示しておりません──少なくとも私(評者)にはそれをみつけることができませんでした。

では,神道は神信仰・神祇信仰からなにを継承したのでしょうか。おそらくそれが神道を理解するキーとなるはずだと評者は個人的に考えおり,それを明らかにした神道入門書が世に出ることを切望しています。

以上を総じて本書を評すると,中世成立説を初学者に説くのであれば,基本事項をもっとていねいに説明する必要があるでしょう。しかし──著者には不満かもしれませんが──,神道の成立時期を強調するよりも,「今私たちが目にする神道は古代の神信仰・神祇信仰とは大きく異なっており,歴史の流れのなかで様々な変容を遂げてきたものである」として,どの時代に,どのようにして,どのような変容が起きたかを基本事項とともに淡々と説明する方が,結果として中世成立説が意図するところを初学者によく伝えられたのではないかと思います。

*初稿2020/09/01

書評:神道とは何か 神と仏の日本史

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