【書名】歴史をつかむ技法
【著者】山本 博文
【発行】新潮社(新潮新書)
【目次】はじめに;序章 歴史を学んだ実感がない?;第1章 歴史のとらえ方;第2章 歴史の法則と時代区分;第3章 日本史を動かした「血筋」;第4章 日本の変貌と三つの武家政権;終章 歴史はどう考えられてきたか;おわりに
【Tags】山本博文,歴史をつかむ技法,歴史的思考力,日本史,歴史の法則,時代区分,血筋,武家政権,鎌倉幕府,室町幕府,織豊政権,江戸幕府,明治維新,司馬史観

【評価】B
【評者】Vincent A.
【書評】本書は少々風変わりな書です。本書はざっと読むのに適した書だからです。本書の初版は平成25年で,発刊後間もない頃に私は本書を一度通読し,そのときは,それなりに参考になりました。それは,古代から近代までの日本史をざっとおさらいするには適度なまとまりがあったからです。この「適度なまとまりがある」という印象は正しかったと思います。今でも,一般の方々がざっと読むには良い書だと思います。しかし,今回,レビューをするために丁寧に読み直したところ,著者の考え方や,ひいては日本の歴史学研究にいくつか疑問があることに気づきました。

著者は,学校教育で学ぶ歴史は知識偏重となっており,学んだ知識を生かす「歴史的思考力」の育成が不十分なため,人々は中学・高校で歴史を学んだにもかかわらず「歴史を学んだ実感や手ごたえが無い」と感じている,そこで本書はそれを補う意味で,歴史を学ぶときの基本的な見方・考え方,すなわち「歴史を学び,探求する上で必要な,理性的で,論理に沿った,基礎的な思考の方法」を提示したいと本書の著作意図を述べています(「はじめに」の項より)。

しかしながら,本書の前提となる学校教育に関する著者の理解は,メディア報道を鵜呑みにした教育論にありがちな素朴な誤解です。歴史に限らず,中学・高校で学んだ教科に関して,社会に出て10年も20年も経った後に“学んだ実感や手ごたえ”を感じている方がどれ程いるでしょう。そもそも,小・中・高の学校教育は,卒業後もずっと“学んだ実感や手ごたえ”を感じ続けてもらうことを意図していないのです。学校教育の目的は,広くいえば社会人として生きるための基礎的な力を身につけるためのもので,もう少し具体的にいえば,各教科に特有な考え方に触れ,ある程度まで習熟することを通して,社会人としてのものの考え方・感じ方の幅を広げるためのものです。専門学校などでの職業教育を除けば,学校教育では知識を学ぶこと自体に意味があり,卒業後も学んだことを覚えているか否かは本質的な問題ではないのです。

著者はもうひとつ誤解しています。それは歴史的思考力の育成についてです。学校教育において歴史的思考力の育成が不十分だとすれば,それは著者がいうような知識偏重教育の影響があるとしても,それよりも,おおもととなる日本の歴史学研究そのものに問題がある可能性が非常に高いのです。すなわち,日本の歴史学研究に生徒の思考力を育成しにくい何かがあり,それが歴史教科書に反映され,したがって学校教育に反映されるという具合です。

思考力にはいろいろな定義の仕方が考えられますが,仮にこれを著者のいうように物事を理性的かつ論理的に考える力ととらえたとしても,物事を理性的・論理的に筋道立てて考えられるようになるのはゴールであって,それを目指して学ぶ過程ではいろいろな考え方を許容する柔軟さがどうしても必要です。ひとつの考え方しか認めず他の考え方を許さない,狭量で抑圧的な環境の中で真の思考力を育成するのは,どだい無理な話だからです。そして,日本の歴史学研究にはそのような柔軟さが不足しているのではないかということなのです。

なぜそう考えるのかといえば,それは本書がまさに思考の柔軟さを認めようとしない書となっているからです。本書著者の肩書きは東京大学史料編纂所教授とされており,東大教授として学会活動をされておられるでしょうから,日本の歴史学研究の分野では少なくとも中堅以上の研究者と考えてよいはずです。そのような歴史学研究者の方が,読者の歴史的思考力を磨き上げようと力を入れて著した本書の内容が実は思考の柔軟さを認めようとしていないとすれば,それは日本の歴史学研究の“学風”にそのような要素が多分に含まれていると考えておかしくないからです。

著者は本書において,歴史を学ぶときの基本的な見方・考え方を読者に提示しているのですが,まさにその基本的考え方として,著者はひとつの考え方しか認めようとせず(狭量的),他の考え方を排除しているのです(抑圧的)。それは端的にはつぎのような記述にみられます。

まず,第1章「歴史のとらえ方」の赤穂藩主浅野内匠頭による江戸城内刃傷事件,いわゆる赤穂事件に関する部分です。なお,引用部分における強調は評者によるものです。

 

しかし,大石内蔵助に至っては,もし隠居した吉良が,実子が養子に入って藩主となっている上杉家の領地米沢に引っ込んだとしたら,代わりに吉良の息子で吉良家の当主となった差兵衛を討ってもいいのではないか,とまで言っています。「喧嘩両成敗」を実現させることによって旧赤穂藩士の面子を立てようというのですから,相手は上野介でなくてもよかったのです。これは現代人には理解しがたいところです。
このように,歴史にはその時代固有のエネルギーがあり,現代の感覚で安易に過去を見ないことが大切です。こうした感覚は,当時の史料を大量に読み込んでいかないと,なかなか身につきません。(p53)

歴史学という学問は,過去に生きた人たちを冒涜するものであってはならない,と思います。真剣に考えて間違えるのは仕方ありませんが,単なる思いつきで,過去の人々を安易に断罪してはいけません。(p55)

 

つぎは第4章「日本の変貌と三つの武家政権」の秀吉の朝鮮出兵に関する部分です。

 

この説に従えば,秀吉は,海禁政策をとる明に軍事的圧力をかけ,中国沿岸から東南アジアにかけて展開していた東アジア海域の中継貿易の主導権を握ろうとしたのだと考えることができます。こう考えれば,「唐入り」もあながち誇大妄想によるものだけとは言えなくなります。
歴史を見る上で重要なことは,現代からの目で見ると無謀と思われることや,あまりに空想的と思われることも,当時にあっては真面目に考えられていた,という視点を忘れてはならないことです。現代的視点で過去を断罪するのではなく,当時の人々の視線から歴史的事象を理解しようとする姿勢が重要なのです。(p203)

 

最後に,終章「歴史はどう考えられてきたか」の「歴史から教訓を得る」の項の部分です。

 

前にも記したように,私たちはついつい,現代の常識で歴史を見てしまいがちですが,時代ごとに違う常識,違うルールがあるものなのです。戦国時代の武将を現代のヒューマニズムで断罪しても無駄なことです。いや,そんな時代まで遡らなくとも,皆さんは自分のおじいさんやおばあさんといった二世代上の人と話したときなどに,自分にはなかなか実感できない,今とは違う道徳観念,常識感覚によるルールのあった社会を生きてきた人なのだと感じたことはあるはずです。(p243)

 

以上の記述から,ひとつの問題が浮かび上がります。すなわち,私たちは歴史的事象を現代の価値基準で評価してはいけないのか,という問題です。

著者は否定的です。“歴史的事象はその当時の人々の視線から理解しなければならない”としており,さらに“現代的視点で歴史的事象を評価してはならない”とするのが著者の立場だからです(著者は「断罪」という言葉を使っていますが,それは客観的にいえば「批判的に評価する」ということでしょう)。そしておそらく,これは日本の歴史学研究者の方々の主流の考え方なのではないのかとも思います。

著者は「安易に過去を見ないこと」「過去に生きた人たちを冒涜する」「単なる思いつきで過去の人々を安易に断罪する」「過去を断罪する」「戦国時代の武将を断罪しても」のように“安易に”,“冒涜する”,“断罪する”などの,誰がみても「それは良くない」と思うようなネガティブな価値をたっぷり含む言葉を繰り返すだけで,その根拠を十分に説明しておらず,その点ではとても論理的でないのです。したがって,歴史的事象を現代の価値基準で評価してはなぜいけないのか,その理由がいまひとつはっきりしないのですが,結論は明確です。過去の歴史を現代的基準で批判してはいけないということです。

しかし,私は,歴史的事象を現代の価値基準で評価するのは一向に差し支えないと思います。というよりも,これは絶対的に必要な作業だと考えています。私は,歴史とはそこから何かを学ぶために学ぶものと考えていますので,何かを学ぶためには,私がいまもっている価値基準で歴史的事象を評価するのは至極当然のアプローチだからです。

例えば,秀吉の朝鮮出兵についてです。著者は「こう考えれば『唐入り』もあながち誇大妄想によるものだけとは言えなくなります。歴史を見る上で重要なことは,現代からの目で見ると無謀と思われることや,あまりに空想的と思われることも,当時にあっては真面目に考えられていた,という視点を忘れてはならない」と記していますが,それは秀吉の野望の現実的な実現可能性についての話で,つまりは歴史学者が“支配者・権力者の論理からみた歴史”について述べているにすぎません。

私は歴史とは全体的に把握すべきものと考えています。秀吉の朝鮮出兵でいえば,秀吉の側の論理だけでなく,秀吉によって命を落とされた人たちの論理も考えるべきでしょう。朝鮮出兵は日本にとって絶対的に必要な戦いではなかったはずです。秀吉というひとりの人間の欲望によって引き起こされた戦争であり,それによって,いったいどれだけの数の人間が落命させられたのでしょう。おそらく,日本側・朝鮮側合わせて戦死者数は数万人の規模でしょう。そしてそれ以上の数の人が傷ついたはずです。戦死者はその瞬間に人生を絶たれ,傷ついた者は,命は助かっても生涯その傷を背負って生きねばならなかったのです。どれほどの苦しみであったことでしょう。

その意味で,秀吉の朝鮮出兵という歴史的事象から私が学ぶことは,人間の欲望とはたいへんに恐ろしく,時として,ひとりの人間の欲望が数万の人々の命を奪うこともある,ということです。これは私がいまもっている価値基準による過去の歴史的事象の評価です。そしてそれは,十分に理性的・論理的で筋道立った思考であると思います。

他方,赤穂浪士による吉良邸夜襲事件については,著者がいうところの「当時の人々の視線から歴史的事象を理解しようと」したひとつの結論が本書第1章「歴史のとらえ方」の「時代の正義」の項に記されています。

 

 人間は,どの時代にあっても命が惜しい,ということに変わりはありません。しかし,命と引き替えにしてもよいとするその時代特有の価値観があります。赤穂事件で言えば,「武士の一分」すなわち面子を立てることは,命以上の価値がありました。それは,赤穂浪人にとっては,絶対的な「正義」でした。
この正義を実現するため,赤穂浪人たちは,愛する妻や家族を捨て,討ち入りに参加していきます。彼らが残した手紙を読むと,残されていく者への深い愛情を持ちながら,武士に生まれた者として討ち入りはどうしても行わなければならない大義である,という思いが伝わってきて,胸を打ちます。彼らは,決して血に飢えた刺客ではなく,義を重んじ,武士としての生き方を貫こうとした人たちだったのです。(p54)

 

著者のこのような理解の仕方を否定はしませんが,よく知られているように,赤穂事件に関しては江戸時代の当時から様々な論争があり──赤穂浪人たちの行動は義なのか否かなど──「当時の人々の視線」も決してひとつではなかったはずです。当時の人々の間ですら論争があった“歴史的事象”に関して,私たちが現代の価値基準で評価してはならない合理的理由は,おそらくないと思います。著者はここで「正義」という価値基準を唐突に持ち出してきていますが,そのような正義を根拠に赤穂浪人たちの騒乱行為を肯定するのであれば,著者は日本で頻発する暴力団抗争にも一定の理解を示すべきではないかとも思うのです──揚げ足取りのつもりはありません。なぜなら,彼らにも彼らなりの正義があるのですから。

 

冒頭に記しましたように,本書はざっと読むには適した書です。ここで「ざっと読む」の意は,「細かな点にこだわらずに読む」あるいは「書かれている事項を全部理解しようとせずに気楽に読む」ということです。

しかし,丁寧に読むと疑問が多いという書は,やはり良書とはいいがたいのです。本書には,上記の問題点のほかにも,図表の扱いが粗雑であったり用語の扱いが粗雑であるなど,気になる点は多々あります。ただし,日本史通史をコンパクトにまとめた書は少なく,その意味で本書は貴重な一冊であることもまた事実です。著者にはぜひとも,これらの点をご考慮いただき本書を改訂していただくことを望みます。

 

*初稿2018/07/09

 

 

書評:歴史をつかむ技法

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