【書名】神道・儒教・仏教──江戸思想史のなかの三教
【著者】森 和也<\br> 【発行】筑摩書房(ちくま新書)
【目次】序章:近世の思想と宗教を見る視点,江戸時代の多様性,現代から近世を見る,明治国家というフィルター,仏教全盛の時代,三つの《堕落》,自らの視点を自覚する,本書の構成
I交錯する思想たち
第一章 幕藩体制と仏教,1仏教による統治と統治される仏教,政治と宗教,方広寺大仏と千僧供養会,反抗する不受不施派,大仏を必要とした豊臣政権,寺院法度によって統制,幕府と天皇が対立した紫衣事件,2徳川将軍家の仏教的神聖化,政権の安定と権威,徳川家康の葬儀をめぐる論争,東照大権現と山王一実神道,浄土宗における徳川家の神聖化,江戸幕府の宗教的権威づけの限界,3近世仏教と職分論,《憂き世》から《浮世》へ,鈴木正三の『万民徳用』,職分論と《武士》,沢庵宗彭の『上中下三字説』,4近世思想における《聖徳太子》という存在,「法王」となった厩戸皇子,偽書『先代旧事本紀大成経』の思想,『大成経』の祖述者,批判される聖徳太子,《聖徳太子》という媒介
第二章 儒教という挑戦者:1儒者の仏教批判の構造,《政治の言葉》と仏教,儒教という挑戦者,儒教の仏教批判の基本型,儒教の定着,2仏教優位から儒教優位への移行,生類憐れみの令と隆光,武家諸法度の改正,『観用教戒』の思想──綱吉と儒教,熊沢蕃山の提言,儒教優位の思想体系,3儒教による近世的政教分離,儒教の普及と展開,荻生徂徠『政談』の思想,太宰春台『弁動書』の衝撃,三教一致論の超克,近世的政教分離の行方,4近世仏教の《横》の広がり,《縦》と《横》,念仏講と参拝講,御嶽講と冨士講,流行仏と出開張,漂泊の行方
第三章 国学と文学:1三教一致思想を語る《場》としての近世小説,口承メディアと出版メディア,浅井了意の『浮世物語』,教義問答と三教の優劣,仮名草子から談義本へ,三教のヘゲモニー,2国学と仏教・儒教との弁証法的関係,古典学と古道学,万葉的自然人,『源氏物語』の本意,物の哀れを知らぬ法師,3排儒排仏と容儒容仏の共存,道といふことの論ひ,儒教・仏教の非存在,宣長の政道論
II復古から生まれた革新
第四章 天竺増の変容:1《古伝》の探求と三国世界観の変容,平田篤胤の方法論,「真の古伝」と「事実」,篤胤のインド神話研究,平田国学の影響,2天竺からインドへ,天竺に渡った日本人,五天竺の地理的混乱,漂流する中天竺,インドと東南アジア,3ヨーロッパ人が教えたインドの実像,新井白石とシドッティ,西川如見と『町人嚢底払』,山村昌永と『訂正増訳采覧異言』,山片蟠桃と『夢ノ代』,平田篤胤と『出定笑語』,インドの衰退をいかに捉えるか
第5章 ゴータマ・ブッダへの回帰:1研究対象としての《仏教》,宗学の時代,「誠の道」と三教,仲基の方法論,仲基は廃仏論者なのか,仏教思想史の開拓,2《戒律復興》という原点回帰の運動,社会への二つの対応,戒律復興の時代,ゴータマ・ブッダへの回帰,神儒仏関係の組み替えの試み,3《雅》という場における交歓,《雅》と《俗》,僧侶と儒者との交流,大潮が担った徂徠学の伝播,文章による架橋,4儒仏を架橋する《言葉》への関心,儒者の生計,古文辞学と《言葉》,梵文原典からの再訳,《言葉》の探求とインド回帰
第六章 仏教の革新と復古:1仏教の徳目としての《孝》,儒教から仏教へ,不孝者の堕地獄,深草の元政上人,『釈氏二十四孝』の世界,母を思う詩,忠と孝との矛盾,2中央と地方・改革と反改革,江戸幕府の宗教統制,駿河に過ぎたるもの,三業惑乱との比較,宗門を遠く離れて,3鎖国の時代の日中交流,長崎の唐人貿易,念仏禅の系譜,黄檗宗への対抗,日本の中の中国
第七章 宇宙論の科学的批判:1西洋が三教に与えた衝撃,蘭学(洋学)の誕生,和魂洋才と相対化,山片蟠桃の進歩主義,司馬江漢の須弥山方便説,2宇宙論をめぐる葛藤,宇宙論というアキレスの踵,地球説への批判,天眼・肉眼の二元論,国学における蘭学(洋学)受容,『三大考』の宇宙論,《死》を取り込む,3死者との交流,《葬式仏教》という強み,《死》とともにある仏教,例外であった儒葬,《死》の誕生,死者とともに生きる
III《日本》というイデオロギー
第八章 キリスト教との対峙:1還俗という名の《投企(プロジェクト)》①──儒者への道,制度的と意志的,儒教の揺籃としての禅林,山崎闇斎の《転向》,佐々十竹の《転向》,還俗という冒険,2還俗という名の《投企(プロジェクト)》②──志士への道,泰平の間奏,幕末という状況,佐久良東雄の《転向》,伴林光平の《転向》,機能主義と仏教,3本地垂迹的思考法とキリスト教,日本の宗教風土,本地垂迹的思考法の網,雪窓宗崔の排耶論,仏教の文脈の上での批判,邪教観への架橋,4キリスト教邪教観の形成と展開,伴天連追放令と近世秩序,『排吉利支丹文』の論理,《侵略の先兵》という言説,不干斎ハビアンと『破堤宇子』,通俗排耶書の時代,天竺徳兵衛と邪教
第九章 《日本》における他者排除システム:1寺請制度の再評価,キリスト教禁教と寺請制度,寺請制度の弊害,寺請に代わるもの,《侵略の先兵》論の復活,仏教はキリスト教対策に有効か,仏教の役割の再確認,2幕末護法論の陥穽,勤王僧の時代と月性,『仏法護国論』という典型,《護法=護国》の方程式,勤王僧から勤王の志士へ,方程式の欠陥,《他者》としての仏教
第十章 歴史と宗教:1《王権》の正当性,将軍と天皇,大政委任論という解法,大政委任論の陥穽,新井白石と《徳川王朝論》,日本国王と日本天皇,承継者荻生徂徠,天皇という難問,2神話と歴史,神話の解体,新井白石と『古史通』,泰伯皇祖説の展開,泰伯皇祖説への批判,仏教史の中の日本史,神話と歴史を分ける,3《歴史》という名の桎梏,虎関師練と『元享釈書』,王臣伝論の日本観,谷秦山と『元享釈書王臣伝論』,秦山の虎関師練評価,大我と『三彝訓』,絶対化する日本の《歴史》
IV近世的なるものと近代的なるもの
第十一章 庶民の信仰:1世俗とともにある神仏,信仰のカタログ化,遊興と参詣,十九版六阿弥陀詣の真相,世俗主義と信仰心,2妙好人と近世社会,近世社会の中の浄土真宗,浄土真宗に対する疑いの目,『妙好人伝』の登場,神明の恩徳と国恩,父母の恩と師恩,近世の妙好人を如何に評価するか,3仏教系新宗教の近世的位相,《新宗教》は新しいか,日扇と本門仏立講,東北の隠し念仏,きのと如来教,現世主義と来世主義
終章 近代への傾斜:1水戸学から見た神儒仏,尊王思想の一般性,水戸学とは何か,儒教と国学と,教育勅語との暗合,仏教を見る視線,廃仏論の継承,2国学の宗教性の顕在化と仏教,明治初年の宗教政策の砂鉄,国学の宗教性の血脈,『玉襷』の思想,草莽の国学者,国学の宿命,3仏教における近世から近代への継承,法制度から排除される仏教,慈雲と正法,行誡と「兼学」,戒律復興運動,梵学の継承

【評価】C
【評者】Vincent A.

【書評】本書は索引を含めて450ページ近く,価格も1100円と新書としては値が張ります。本書にいかに多くの事柄が詰め込まれているのかは,上掲の「目次」をみていただければ一目瞭然でしょう。これだけのボリュームの書を著すために著者が費やしたエネルギーには敬服しますが,しかし大変残念なことに,本書の「神道・儒教・仏教──江戸思想史のなかの三教」という書題はほとんど詐欺レベルです。筑摩書房編集者は原稿を本当に読んだのでしょうか?

私(評者)の好きなTVドラマに主人公が日本各地の飲食店を食べ歩くものがあり,あるとき,注文に迷った主人公が「メニューの先頭にある料理はその店の自信作」というような台詞を語るシーンがありましたが,本書の書題にある「神道・儒教・仏教」について,著者が自信をもっているか否かはともかくも,書題に三つ並んだ「神道・儒教・仏教」のまさにその先頭にある「神道」について,本書には実はほとんどなにも記されていないなどとは,普通は考えません。ところが,本書には神道については,実際,ほとんどなにも説明されていないのです。

そのことに気づいたのは,本書序章で著者が本書の構成について触れた際に「各章各節は相互に関連づけられつつも,個々に独立しているので,始めから終わりまで通して読むほかに,読者の興味のあるところから読んでいってもらい,さらにそこから関連した箇所に飛んでもらうという読み方でも得るものはあると思う」(p24)とご丁寧に述べておられるので,それでは早速神道から読むことにしようと目次で神道の項目を探したときです。

「目次」をつぶさにみても神道という項目はなく,わずかに「東照大権現と山王一実神道」という項目名(第一章2節)に神道という語が表れるにすぎません。そしてその第2節では,山王一実神道についてはわずか1ページを費やして極々簡単な説明がなされているだけです。

本書カバーに「神道,儒教,仏教,蘭学(洋学),キリスト教,民間信仰など──これらの諸思想・宗教は一対一どころか一対他で複雑に関係し合っていて,単体で語ることは,間違いではないが,正しくもないということになりかねない。精密な地を這う視線の一方で,上空から大づかみでも全体を眺める視野も必要である」と記されています。そして本書の序章にも同じ文章があり,加えて著者は「そうでなければ,江戸時代の思想と宗教の実像はわからない。」とも記しています。

評者が本書を購入した個人的な動機は,著者のいう「これらの諸思想・宗教は一対一どころか一対他で複雑に関係し合っていて」という箇所に大変興味を惹かれ,では江戸時代に,神道(ないしは神道思想)が仏教(もしくは仏教思想)あるいは儒教(もしくは儒教思想)によってどのような影響を受け,他方,神道(神道思想)がこれら仏教(仏教思想)・儒教(儒教思想)にどのような影響をおよぼしたのかが本書で説明されているだろうと期待したからです。

この期待は完全に裏切られました。本書副題に「江戸思想史の中の三教」とありますので,本書論述が「思想史」という枠組みの中で進められるであろうことは想像できるのですが,では著者は,神道をどのような宗教ないし思想ととらえているのかという点について,本書では何も語られていないのです。これでは,神道(神道思想)が仏教もしくは儒教からどのような影響を受けたのか,あるいはそれらにどのような影響を及ぼしたのか,などが分かるはずがありません。著者は「一対他で複雑に関係し合って」と述べていますが,少なくとも本書の内容に限れば,それは単に言葉の遊びに過ぎません。

内容的にみて,本書は仏教が中心に書かれた仏教書です。しかも,論述のほとんどは仏教(もしくは仏教思想)の本質についてではなく,もっぱら仏教の覇権の歴史についてです。日本のメディアの政治報道には「政局は語るが政治を語らない」ものが非常に多く,メディアに登場するコメンテーターなる人々も,政界の裏事情を詳しく知っていることがご自身の専門性の高さだと誤解されておられるような方が多いのですが,本書も,仏教版の「政局」記事のような印象を受けます‥‥宗教思想史とはそういうものだと言われればそれまでですが。

したがって,本書の書題は例えば「近世宗教思想史──仏教の覇権と儒教の挑戦」などとすべきものと思います。そして,そういう書題であれば,評者は本書を購入しなかったでしょう。

本書は仏教と儒教の「政局」を知るには好著かもしれませんが,そうであっても,450ページという紙幅は──専門書であればともかく,一般読者向けの新書としては──多すぎます。江戸思想なるものの全体を俯瞰するのであれば半分もあれば十分かと思いますし,読者にとっては,その方が逆に全体像を把握しやすいように思います。どうしても事細かく述べる必要があるのであれば,本書を上巻・下巻の2分冊とし,上巻ではアウトラインを,下巻では詳細を述べるなどの工夫があってしかるべきと思います。また,宗教や思想が互いに影響し合ってきたというのであれば,ある宗教・思想のどのような部分が他の宗教・思想のどの部分にどのように影響したのかを視覚化するチャート(フローチャート)を用いるなど,項や節の「わかりやすさ」を重視した構成を工夫すべきように思います──新書には専門書とは異なる工夫が必要なはずです。

*初稿2023/05/01

書評:神道・儒教・仏教──江戸思想史のなかの三教

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